こんにちは、仏壇工芸ほりおの庄子です。
今回は、私が参加した「親鸞教室」について、少しお話ししたいと思います。
実は私、以前から「仏教が好き」という気持ちはあったものの、お寺の行事などに参加した経験はほとんどありませんでした。
そんな私が、ひょんなことから参加することになったのが、正覺寺様で開催された「第一回 親鸞教室」です。
4月10日、「第一回 親鸞教室」が始まりました。
初回のテーマは「同朋会運動について」。……とはいっても、当時の私は「同朋会運動」という言葉すら、きちんと理解していない状態。
「私なんかが参加して大丈夫なのかな?」
そんな不安を抱えながらのスタートでした。
1.何もかもが「初めて」
親鸞教室に参加して、まず驚いたのが、とにかく初めてのことが多かったことです。
例えば「正信偈」。
これまで実際に聞いたことは何度かありましたが、自分自身でお称えするのは初めてでした。
そして、浄土真宗の仏教讃歌である「真宗宗歌」「恩徳讃」「みほとけは」も初めて知り、聴きました。
YouTubeなどで法話を聞くことはあっても、実際にお寺で聞法することも初めて。
もちろん、今回の親鸞教室でご一緒する皆さんとお会いするのも初めてでした。
何もかもが初めて。
わくわくする気持ちと、緊張する気持ちが入り混じった状態で、親鸞教室が始まりました。
2.「みんな同じ立場で学ぶ」ということ
記念すべき第一回目は、高山別院駐在の中川さんより、「同朋会運動について」の説明を踏まえながら、聞法をしていただきました。
その中でお話しされていたのが、「同朋」という言葉について。
同朋会の朋という字は、古代の中国で通貨や宝物として使われていた「貝」の束(同じ数の貝を紐で2列に結んだ形)を象った象形文字で、それが同じ仲間や一味(=とも)を意味が込められていて、中川さんはそのお話を踏まえて、こうおっしゃいました。
「ここにいる我々住職衆も、同朋会運動に参加されている皆さまも、平等に、同じ立場になって学んでいく」
このお話を聞いたとき、何もかもが初めてだった私の胸に、ズドンという雷が落ちたような感覚がありました。
年齢も、経験も関係なく、みんなで平等に学んでいく。
「私でも、誰でも参加していい場所なんや」
そう感じた瞬間、少し肩の力が抜けたのを覚えています。
というのも、当時の私は23歳。
親鸞教室では私より上の年代の方が多く、近い年代の方はほとんどいませんでした。
実際ほりおへ来てからも、「若い人がいる!」「若いのになんで?」と声をかけていただくことがあります。もちろん、珍しがられることは承知していました。
それでも、「自分なんかが参加しても大丈夫なのだろうか?」
と、ふと思うこともありました。
「ちゃんと理解できるだろうか」「難しそうだな」
「浄土真宗については、お内仏や少しの歴史しか知らない」
そんな状態での参加だったからです。
今振り返ると、参加する前の私は、思っていた以上に身構えていたんだなぁと思います。もっと身軽に考えてもよかったんですよね。
そして、もうひとつ緊張していたことがあります。
それが、自己紹介です。
私は「大」が付くほど話すことが苦手なのですが、そんな私の拙い自己紹介にも、住職兼漆塗り職人の岩崎さんがフォローを入れてくださり、皆さんも笑顔で聞いてくださいました。
そのとき、
「なんだ、すごく温かい場所やなぁ」と感じました。
仏教について詳しくないから参加してはいけない。そんなことは全くなくて、分からないことがあるからこそ、そこから学んでいく。
年齢も経験も関係なく、みんなで一緒に学んでいく。
第一回目の親鸞教室で聞いた「同朋」という言葉は、私にとって、ただ意味を知っただけではありませんでした。
「ここにいていいんだ」と思わせてくれる言葉だったのです。そして、中川さんがおっしゃっていた言葉は、今でも私の心に深く刻まれています。
4.「知らない」から始めてもいい
親鸞教室に参加したことで、私は「仏教を学ぶ」ということに対する見方が少し変わりました。
知識がないからこそ、聞いてみる。
分からないからこそ、質問してみる。
そして、自分とは違う年代や立場の方と一緒に学ぶ。
それがとても新鮮でした。
このときの私は、まだこれから始まる親鸞教室が、自分にとってこんなにも大きな経験になるとは思っていませんでした。
そして、このあと私は「お内仏について」や「妙好人」「浅原才市」「御文」など、これまで知らなかった浄土真宗の世界を少しずつ知っていくことになります。
次回は、実際に親鸞教室でどんなことを学んだのか。
そして全5回中、4回の講習を通して、本山へ足を運んで私自身がどんなことを感じたのかをお話ししたいと思います。
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