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仏壇お役立ちブログ

お東・お西

たまにお日様がどちらから昇るのか分からなくなりそうな今日この頃です😅

東からだっけ、、、、? 西からじゃね、、、、?

唐突に聞かれるとパッと答えられない時があります・・・🥲

さて今回はそんな東西に関するお話しをしたいと思います。

「なぜ浄土真宗は東と西に分かれてるの?」

私が住んでいる地域は特に浄土真宗の方が多いのでよく聞かれる質問です。

真宗(浄土真宗)東(真宗大谷派)西(浄土真宗本願寺派)に分かれた主な理由は、戦国時代末期に起きた「石山本願寺の戦い」とその後の内部分裂、さらに徳川家康の介入にあります。

  • 石山本願寺の戦い(1570〜1580年):
    織田信長が大阪の石山本願寺を攻めた長期戦争の中、寺内部で「信長と和睦すべきか」「徹底抗戦すべきか」を巡って意見が対立しました。11代目門主(宗主)の顕如(けんにょ)は和睦を、長男の教如(きょうにょ)は抗戦を主張し、両派は激しく対立します。

  • その後の分裂:
    結局顕如は和睦を選び、教如を事実上排除して三男の准如(じゅんにょ)に後を継がせました(これが後の「西本願寺」本流)。一方、教如派は不満を持ち続けます。

  • 江戸時代の徳川家康による分家:
    関ヶ原の戦い後に天下を取った徳川家康は、本願寺勢力を分断して支配しやすくする意図から、排除された教如に寺地を与えて新たに「東本願寺」(真宗大谷派)を興させ、公式に東西二派が成立しました。

このように、外部の武力的圧力と寺院内部の宗主継承問題、そして時の権力者による宗派コントロールが重なって、今日の東西分立となったのです。

✅教義自体は大きく違いませんが、儀式や伽藍配置、細かな宗派文化などに違いがみられます。

 

簡単にまとめてみましたが以上の事などが原因となり、現在のお東さん、お西さんという事になります。

真宗に限らず色々な事情により派が分かれている仏教ですが、今の私たちをお釈迦様が見たら何を思うんでしょうねぇ、、、、。😌